知識には、大きく分けて2つの種類のものがあると思う。
それが、純粋な意味における知識と、経験知だ。
前者は、一般的に知識と言われて多くの人が思い浮かべるであろう、理解した物事のことだ。
一方後者は、頭では分かってても中々できない。といった経験を乗り越えて得られる、体得した知識のことだ。
このようなことを思い至ったのは、自分が器用で不器用であるということに気がついたからである。
私は、自分では物事を理解するのが割と早い方だと思っている。
いわゆる、「一を聞いて、十を知る」タイプといったところか(自分で言うなよw)。
その点では、ある意味器用であると言えるだろう。
しかし、理解が早い割には、「じゃあやってごらん」と言われると、中々思うようにいかないのだ、これが。
これが、自分を不器用だと自覚している要因である。
このギャップが、自分で実に腹立たしい。
「わかっちゃいるけど、やめられない!」
なら呑気でいいが、
「わかっちゃいるけど、できまへん」
これの無力さときたら、なんともね。
プログラミングに全くの誤りがなければ、ロボットは想定された、指示された挙動を示すはずだ。
ところがどすこい。
人間はこうもいかんのだ。
頭でわかってても、その通り動かない。
ロボットを作った人間の方が欠陥品というのは、皮肉なものだ。
まあ、「思い通り」にいかないからこそ生まれてくる「可能性」もあるとは思うのだけど。
それが実を結ぶかどうかは、神のみぞ知るといったところか。
つまるところ、やり続けるしかないのだ。
ある程度の結果とらわれることなく。
ということが言いたかったのだが、長くなってしまった。
「淡々と」とか、「黙々と」とか、
いろんな言葉で表現されるけど、やることの意味はそこにある。
結果が出なくても、「経験知」は溜まる。
「知識」は、実感を伴って、蓄えられる。
色々考えてしまうけれども、やってみよう。
今回はそんな、自分への励ましのお話でした。